誰もが15分間だけ主役になれる時代で
「ファクトリーガール」を見ました
ポップアーティスト アンディーウォーホルの
奇妙な人々が集まる「ファクトリー」を舞台に
お金持ちでちょっとクレイジーな
「スーパースター」イーディ・セジウィックの
ウォーホルとの出合い、ボブ・ディランとの恋
そして別離
29歳という短い人生を駆け抜けた彼女を描いた作品
私の感想は…☆☆☆★★ 星3つ
イーディのかわいさを堪能したいなら、やっぱり本物を見るしかないのかなーと。
主演のシェナ・ミラー
ものすごくかわいいし、ビジュアル的にはぴったりなんだけど、
本来の彼女の(たぶん)真面目でバランスのとれた人格が出ちゃってる気がします。
実際のイーディって元々精神的に不安定だったと思うし、
映画では「ファクトリー」やアンディーウォーホルとの出会いが彼女の人生を大きく狂わせていったように描かれていたけど、
堕ちていかざるをえないようなイーディの危うさは
もうちょっと掘り下げてよかったんじゃないかな~と。
それにファクトリーの描写とか、中途半端な気がするし、ちょっと調べれば出てきそうなエピソードばかりだったし。。物足りなかった。
イーディのエピソード、ファクトリーの当時の様子を味わいたいなら写真集のイーディをおすすめいたします。
これからは「ノンフィクション」がどんどん難しくなっていくな、と思っています。
作り出す作品そのものだけではなく、天才が凄みを見せるのは
「予言」めいた発言だと思います。
ダビンチのスケッチには戦車のようなものがあったり、
本当に時空を超えて、間違って生まれてきてしまったんじゃないかと驚かされます。
アンディウォーホルも例にもれず、こんな言葉を残しています。
「未来では、誰もが15分間だけ主役になれる時代がくる」
今はまさにそんな時代の真っただ中です。
youtube,ブログ、インスタグラム TikTokなんていうのも出てきましたね。
個人が気軽に全世界に発信できる。
他人の「リアル」をのぞき見できる。
ひりひりとした痛みや孤独がパソコンやスマートフォンを通して見ることができる。
共感できる。
そんな中で、興業的に成功するためにエピソードを盛られた「ノンフィクション」がどこまで通用するでしょうか。
私たちは「虚構」や「物語」は好きですが「嘘」を嫌います。
そしてその「嘘」はいとも簡単に見破られます。リアルに慣れた人々ならなおさらです。
ウォーホルの映画にはストーリーがないものが多く、
出演者もファクトリーの若者たちだったり、一人としてプロはいません。
ウォーホルが求めていたものがわかる気がします。
「デッサンなんかやめて写真を撮れよ。そのほうがずっとリアルだ」
ウォーホルがウルトラ・ヴァイオレットに言った言葉です。
ウォーホルが撮った映画と、ウォーホルの世界を映しだそうとした映画が
まるきり逆のベクトルを指しているのがおもしろいと思います。
あああ、なんだか固い映画評論になってしまった
まあ、それぞれのウォーホル論、映画論があると思うので!
で、ウォーホルは意味づけなんて嫌うと思うので(雑に終わり)